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Posted by あしたさぬき.JP at

2007年12月31日

新(古)車。

大晦日ということで、今日の一枚もちょっとお休みを。
10月のこと。車で事故を起こした結果、今まで乗っていた車を廃車にしました。

今まで乗っていた車はスズキの「ワゴンRワイド」という車。しょっちゅう軽自動車に間違えられていました。
が、この車の唯一の利点は、バリトンサクソフォーンのハードケースが載るということでした。
しかし廃車にしたということで新しい車を探さねばならなくなりました。
当然、予算も無いので、近所の自動車工場の人に中古車を探してもらうことに。
条件はラゲッジにバリトンサクソフォーンのハードケースが載るコンパクトカーであること。

2ヶ月あまり探してもらった結果漸く車が見つかりました
で、先日クリスマスに来た車がこちら。



同じく、スズキの車で「ソリオ」です。系譜としては、「ワゴンRワイド」→「ワゴンRプラス」→「ワゴンRソリオ」→「ソリオ」、となっているようなので、前に乗っていた車の正統な後継車種です。
車は安全運転したいものです。


今年、一年そして、あしたさぬき.jpでのブログがスタートしてから、皆さんお世話になりました。来年も出来るだけつまらない話を細々と続けていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

では皆さん、良いお年を。  

Posted by のりくん at 23:09Comments(0)

2007年12月29日

対立。

注:この記事は2004年3月13日に書かれた記事を加筆修正したものです。


世の中、様々な、対立、論争、紛争が常に巻き起こっています。
日常の中の小さなものから、国際的な大規模のものまで、多分、途絶えた瞬間は無いのでしょう。
人はしばしば、意見論争であるにもかかわらず、武力を使用するようになります。武力に訴えると、帰ってくるのはまた武力。悪循環の繰り返しです。交渉において平行線をたどることは時間と労力を費やすことですが、武力を使うことに対する被害や、兵器にかけるお金を他の目的に使用すると、もっと前向きな解決が出来るのかもしれません。まあ、兵器を無くすことよりも、兵器を作る人々の再就職先を考えた方が早道なのかもしれません。
世の中の対立全てがなくなることは人間として違う意見をもっている以上ありえないし、その必要もないと思うのですが、利益や、利害のために武力を使うことは是非、やめて欲しいものです。
さてそこで今日の一枚、今日の「展覧会の絵」

セルジュ・チェリビダッケ指揮/
  ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ラヴェル/ボレロ
東芝EIM TOCE-11608

 皆さんの中でセルジュ・チェリビダッケという名前をご存知の方は結構なクラシック通か、ベルリンフィルに詳しいかただと思います。レコーディングという作業を頑強に否定した人物でもあり、そのためにいま、CDなどで聴くことの出来る彼の演奏はごく僅かです。クラシック業界での彼の位置付けは「カラヤンに敗れた人物」ともされているようで、確かに、フルトヴェングラーの公認として選ばれたのは、カラヤンで、チェリビダッケは、ベルリンフィルを追われることとなりました。カラヤンが、早くから録音と言う音楽活動に注目し、世界一流の技術と表現力を持ったベルリンフィルを手兵としたのに対し、チェリビダッケはライブで生で聞く音だけが本来聞かせたかった音色、音量、といって録音が発売されることを嫌い、当時としては二流とも評されたミュンヘンフィルを手兵にしたのです。その中には、カラヤンに対し、「おまえはそれでその程度の音楽しか出来ない、私は、これだけのものでも十分に自分の音楽を表現できる」という挑戦的な態度も見て取れます。
 演奏の方は、とにかくテンポが遅い。ボレロの演奏時間が18分を超える指揮者もそうはいないと思います。しかし、初めて聞いた人には異様とも思える遅さに度肝を抜かれるかもしれません。しかし、それだけ、全ての音を美しく聞かせ、表現したいと言う意志が伝わってくるようでもあります。曲を慈しむような演奏です。実際、フォルテの場所をピアノで演奏したり、していますがそれは逆に作曲家が何故そこにその強弱記号をつけたのかと言うことを徹底的に考え尽くして、新たに音楽を構築しているようでもあります。
プロムナードもよく違いが表現されていて、美しいものです。
古城のソロは、ゆったりとしたテンポで美しく、表現もすばらしいものです。アチェルランドは急激ではないのですが元のテンポが遅いだけに心地よい感じです。ババ・ヤーガ-とキエフの間は開けずにそのままです。また、キエフの4小節ごとの後半の2分音符はなんと小さく演奏しています。おそらく、あのアクセントを、強く吹くアクセントではなく、音を大切に演奏するアクセントと解釈したのだと思えますが、それをやってしまえるのが巨匠たる所以かもしれません。
 老練の円熟した画家が、巨大な建造物の壁に柔らかな筆遣いでゆったりと美しく書き上げた絵のようなイメージです。
カラヤンの演奏しか聴いたことのない方には是非聞いていただきたい一枚です。今までと全く違う展覧会の絵を聞いてみたいという方にもオススメです。

  

Posted by のりくん at 12:14Comments(0)今日の一枚

2007年12月27日

定番。

この記事は2004年3月12日に書かれた記事を加筆修正したものです。

師走、年も押し詰まってまいりました。毎年思うこそですが、何故かこの時期になると忙しくなります。正月といえば、定番の行事がいくつかあるわけですが、この時代にそぐわないような定番の行事もある気がするのですが、それはそれで年中行事として慣例化しているので、それでもいいのかもしれませんが…。定番には定番になる理由があるのかもしれません。
さて、今日の一枚。定番と言えば、今日の「展覧会の絵」は、

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ラヴェル/ボレロ、スペイン狂詩曲
グラモフォン(ポリグラム、ポリドール)POCG-50035

これは、カラヤンの録音の中で一番新しい「展覧会の絵」(多分)。カラヤンの功罪についてはいろいろ言われていますが、音楽の録音に関してや、クラシックを一般大衆化するための一翼を担っていたことは間違いないと思います。このCDは、必ず、サックス吹きが聞く定番の展覧会。
 全体的にやや遅めのテンポ作りでプロムナードもゆったりした感じです。トランペットの音が柔らかく、非常に美しいレガートで演奏されています。曲の細かいディティールまでよく表現されていると思います。割と明るい響きもするのですが、全体的に表現がやわらかく、部分的にはパンチの足りない演奏のような気もします。アチェルランドはあまり急激にはやりません。
 全編フレーズ感がとても長く感じられるつくりです。ただ、古城のサックスソロは、以外にもテンポが速くなっています。このソロはクラシカルサクソフォーン界の巨匠、故ダニエル・デファイエ氏によるもの。カラヤンは展覧会や、ボレロを演奏する時には必ず、デファイエ氏にソロを依頼していたと言います。ソロは、音色も表現も一級品の間違いなくぴか一です。早めのテンポも、この表現にはぴったりのテンポだと感じます。
 ババ・ヤーガーとキエフの間は結構派手に開けています。また、キエフのトランペットは、4小節ごとの後半の2分音符も確実に旋律のフレーズとして捉え、アクセンティックに吹くことはありません。
 全体的にスケールを大きく捉えようとする向きが感じられる演奏です。巨大なキャンバスに質の良いカラフルな絵の具と、筆で途切れない線を引きながら描かれたようなイメージ。
 サックスを吹いている人はもちろん、小細工しない演奏が聞いてみたい方にオススメ一枚。

  

Posted by のりくん at 22:45Comments(0)今日の一枚

2007年12月27日

世相、世論。

年末になると、今年の重大事件などが特集されたりします。今年も衝撃的な事件が数多くあったわけですが、色々あった事件に関してのことには、さておき、私は、報道機関をはじめとしたマスコミのあの態度には、ちょっと憤りを感じたりします。
 例えば、少年犯罪などについて考えた時、真正面から取り上げつづけたものを私は見たことがありません。マスコミは興味本位の視点で視聴者を刺激しつづけるだけに終始し、視聴者に対して、解決策や、己のきちんとした意見を提示することも出来なかったのです。あの、事件は氷山の一角にしか過ぎず、それをきっかけに社会が成長する機会を逃したことは非常に残念でなりません。
 世論、世相が社会を変えていくのも事実ですが、他人事のような視点で見つづける以上、一般の人々であろうが、政治家であろうが、裁判官であろうが社会を変える動きなどつくれそうにありません。悲しいことです。きっとこのことも、何年かするうちにすぐ風化してしまうのでしょう。
 世相と言えば、ソビエト崩壊後のロシアも、かなりのもののようです。当時はオケマンが大量に給与の未払いなどで生活できなくなり、ストリートでジャズを演奏して稼いでいた、と言う話も聞きます。そのジャズは劇ウマだったとか。そう、当然、一流のミュージシャンだったからです。
 そこで今日の一枚。今日の展覧会の絵は

ウラジミール・フェドセーエフ指揮/モスクワ放送交響楽団
ハチャトゥーリアン「仮面舞踏会」、「スパルタクス」
シベリウス「フィンランディア」
ビクターエンターテイメント VICC-2167

この演奏はソビエト崩壊の約2年前のもの。全編にわったってロシア風味な演奏です。私のイメージなのですが、現在のロシアのオケというのは少しずつ、インターナショナルな響きに変わりつつあるのではないかと思うのですが、この演奏の響きはまさにロシアっぽい響きです。ただ、以前紹介したスヴェトラーノフの演奏に比べると豪快さには多少かけるものの、その分、演奏に緻密な点も見られます。フェドセーエフと言う人はソビエトの民族音楽団の指揮者を勤めていたこともあり、そのためにロシア風味を濃く感じるのかもしれません。
演奏は秀逸です。テンポ感にはかなり独特のメリハリがあります。速い部分はそれなりに速いテンポだったりするのですが、遅い部分や、リタルランドが極端に遅かったり、アチェルランドが強烈だったりします。サックスの古城のソロは音色も美く表現もすばらしいのですが、ビブラートは古いロシア風のビブラートです。(少し前時代的ビブラートに感じます。)古城はサックスのソロよりも、フルートの太い音色に感激しました。キエフの前は開けずにそのままなだれ込むスタイル。あと、ババ・ヤーガ-ではホルンのVib.が聞けておもしろいです。
 中庸な大きさのキャンバスに全体に色の暗めの油絵の具でしっかりと書かれたメリハリの強い絵のように感じます。
 スヴェトラーノフよりもよりまとまりのあるロシア風味を聞きたい方にオススメの一枚です。

  

Posted by のりくん at 22:37Comments(0)今日の一枚

2007年12月25日

表現。

この記事は2004年3月10日の記事を加筆修正したものです。

私は、別に心理学的にフェイス・マスク的表情な訳ではないのですが、時折、人に表情が乏しく何を考えているかわからないときがある、と言われたりします。人によっては常に怒っているようで、近づきにくいとまで言います。表情と言う意味でのプレゼンテーションは人よりも少ないのかもしれません。なので口を大きく開けて、大声で笑う人とかを見ると、ちょっと羨ましいこともあります。感情を表現するにも、ある程度トレーニングが必要と言われていますが、どこでどうなったのか、私にはそのトレーニングが人生の中で不足しているのかもしれません。
 さて、そんなところで今日の一枚、今日の「展覧会の絵」は、

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮/NBC交響楽団
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
RCA(BMGジャパン)BVCC-9930

これも、「展覧会の絵」の名録音と言われるものの一つです。音源はモノーラル。なので、オーディオ的には今のステレオ、デジタル録音とは多少違った趣があります。
 これを聴いてみての、全体の個人的な印象は、トスカニーニと言う指揮者は、楽譜にかかれたこと以外を一切行なおうとしない人ではないだろうか、と言うことです。指揮者によっては、いやらしいほど感情を込めて音楽を作る人もいますが、その対極の演奏といっても良いかもしれません。
いや、世間のトスカニーニの評価はこの対極にあるのかもしれませんが…。
 演奏は、割と音価を短くとり、溌剌とした若々しいイメージの展覧会となっています。プロ-ムナードは全てにおいて前に流れることを重視した音作りで、それぞれのプロムナードに違う解釈を行なうということはあまり感じられません。
 しかし、モノーラルにもかかわらず、これだけの色彩感を感じられる演奏は凄いとしか言い様がありません。多分、ステレオ録音されていたなら、そのまばゆいばかりの色彩感に目がくらむほどの演奏かもしれません。
 古城のサックス・ソロは、美しい音色で演奏され、音の表現も楽譜に忠実です。ただ、もう少し情感が感じられる表現でもいいのにな、と言うのが個人的な感情です。ババ・ヤーガ-は、多少、Tpが通常と違う音の解釈のような気はします。キエフとの間は開けずにそのままなだれ込む感じ。そして、4小節ごとの後半の2分音符は旋律とは一旦吹き分けて和音としての音楽にしています。アチェルランドは派手目。
 イメージとしては、中庸な大きさのキャンバスにサインペンで瞬時に正確な絵を書き上げた感じでしょうか。あるいは、べらんめえ調の江戸弁で、「こちとらぁ職人なんでぃ、いらねえ表現しねえできっちり吹きやがれェ!」みたいにも感じる演奏です。
古い録音、演奏ですが、今の時代に聞いても(音質はともかく)古さを微塵も感じないすばらしい演奏です。
 他の「展覧会の絵」を持っていて、もう一枚CDをと思う人には特にオススメ。もちろん、コテコテの演奏に飽きた人が聞くのにもうってつけの一枚です。

  

Posted by のりくん at 20:56Comments(0)今日の一枚

2007年12月24日

我が家の駄々駄犬。

この記事は2004年3月9日の記事を加筆修正したものです。

 我が家には、「もも」と言う名前の駄犬がいます。一応、ミニチュア・ダックスフントなのですが、ちょっと変わり者。生野菜が大好きです。レタスを毎食後かじってます。他の食癖も犬とは思えず、先日は、なますや、海鼠も食べていました。
 飼い犬のため、野生をすっかり忘れているのかはたまた、人を見下しているのか舐めたやつです。駄々をこねる駄犬で駄々駄犬。犬らしくない、犬です。(変な言い回しですが。)
 時々、らしさについて考えることがあります。らしさとは、既成概念だとひとことで済ますことも可能かもしれませんが、そうでもないような気がします。そのなかには、時代背景や、歴史に培われた習慣、慣習、思想などが盛り込まれているからです。ある部分、合理的なものであったりもします。「らしさ」って何でしょう。
らしさ、と言えば、今日の一枚。
今日の「展覧会の絵」は

禿山の一夜・展覧会の絵エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団
メロディア(ビクター)VICC-2023


ご覧のように、これはソビエト崩壊前に録音されたものです。
曲とは関係ないのですが、このCD展覧会の絵が1つのトラックとして扱われているため、聴き始めると、最後まで、というLPレコード並みの不親切さです。
 一聴して感じるのは、ロシアらしい響きの展覧会の絵という感想。結構野太く豪快な演奏です。「古城」のソロは、昨日のアンセルメのものとは大きく違い、前に前に音楽を流そう、と言うよりも、ソロがゆったり吹けば、ある程度伴奏も足並みを合わせる感じです。テンポも遅め。アルトサックスの音色もソビエトらしい音。誰が吹いているのかは確認できていませんが、かつてのソビエトの名手、ミハイロフの音を思い起こさせます。プロムナードは、楽譜にあまり忠実なテンポではありません。ティルリーのテンポも激しく遅いもの。以外にアチェルランドは激しくやりません。
 あと、カタコンブは、厳粛と言うよりは、荒廃した戦場の惨劇をイメージさせるような雰囲気です。この金管はちょっとやりすぎな感も。ババ・ヤーガーとキエフの間はほとんど開けません。
 キエフの主旋律の四小節目後半の音は、トランペットの旋律の流れの音として扱われているようです。
 ロシア風味たっぷりの豪放磊落な演奏。特にあの、特徴的なロシアオケ独特の音色で吼える金管楽器群が楽しめます。どっしり、ずっしりと太い筆とカラフルな顔料の絵の具で壁画として描かれたような「展覧会の絵」です。残念なのは、廊下を歩くプロムナードに逡巡するような雰囲気などがあまり感じられないところでしょうか。ラヴェルに編曲されていながら、尚ロシア風味です。
 旧ソビエト時代の音を聞きたい方、ロシアらしい金管楽器の音を聞きたい方にオススメの一枚です。 
  

Posted by のりくん at 17:20Comments(0)今日の一枚

2007年12月23日

テクニックとは。

この記事は2004年3月8日の記事を加筆修正したものです。

さて、今日は、某所でダッパーサクセーバー勢ぞろいの練習。午前は9人での練習、午後からはそれぞれ四重奏と五重奏に分かれての練習でした。
 私は、プロでは決して無いので、練習時間も限られているのですが、どうしても少ない練習時間だと、回らない指を回すための練習に終始してしまい、なかなかその次に進むことが出来ません。すぐに回るだけのテクニックがあればと思うのですが、それは一朝一夕で手に入るものではないのです。
 突然ですが、今日から「展覧会の絵」シリーズがスタートします。今日、紹介するCDは、聞くたびにテクニックと芸術性について考えさせられる一枚でもあります。
 さて今日の「展覧会の絵」は、

エルネスト・アンセルメ指揮/スイス・ロマンド管弦楽団
ロンドン(キング)230E 51035
禿山の一夜、歌劇「ホヴァンシチナ」-前奏曲

まず、このCDは、世間の評価でも、名盤と言われることがあることを書いておきます。スコアと、見比べて聴いてみるとわかりますが、ほぼ、スコアの指示通りの演奏を実現しているようです。いくつかあるプロムナードも比較的指定のテンポを守ってそれぞれの速さをつくっている感があります。
 わたしは、展覧会の絵を聴く時サクソフォーン・ソロの古城を聞くのはもちろんですが、他に良いとか悪いとか、芸術性とかにかかわらず、ただ単におもしろさとして聴く部分がいくつかあります。まずは、プロムナードの表現。(テンポや扱い方を含めて)
そして、各部のアチェルランド開始のタイミング。そして、ババ・ヤーガ-とキエフの大門の間を開けるか、開けないか。キエフの大門の4小節目ごとの後半の2分音符をどう扱っているか。
と言うことをまず聴いてしまいます。
この演奏では、プロムナードは、ほぼ楽譜の指示通り、各部のアチェルも大体、楽譜に書いてある場所から、そして、ババヤーガ-の最後はきっちり、スタッカートで終わり、次は開ける、4小節ごとの後半の2分音符は、楽譜通りのアクセントで処理、と言った具合。つまり、ほぼ、楽譜に忠実。全体は、多少あっさりとした印象を受けるかもしれませんが、色彩感は豊です。さすが、ファリャやストラヴィンスキーの曲を初演したほどの人物、アンセルメです。
 古城は、比較的早めのテンポで、前に前に流れるじ。ことさらテンポを揺らすこともありません。アルトサックスソロも楽譜の指示通りの音の処理を貫いているように思えます。ソロの音はクリアーで美しい音です。日本のクラシックサクソフォーンの祖、故坂口新氏が、古城のテンポならアンセルメ盤が一番良い、と言っておられたとか。
 曲全体は、巨大なキャンバスに明るめの絵の具で精細画を書いた感じ。ただ、よく、アンセルメの録音は「ヘタウマ」と言われるように時折管楽器群が、技術的に破綻しているとしか思えない部分があります。しかしながら、それを差し引いても、緻密で楽譜を隅々まで読みっとったような演奏はすばらしく、ある種の「味」となっているのが不思議なところです。バランスのとり方や、響かせ方は、超一級品。小手先のテクニック的なものよりも、楽譜にあるものをきっちり読み取っていけば、これだけ高い質のものが出来上がると言うお手本でもあります。
 これから展覧会の絵を聴こう、と言う方にもオススメの一枚。きっと、「展覧会の絵」のスタンダード盤と言うべき一枚となることでしょう。

  

Posted by のりくん at 19:36Comments(0)今日の一枚

2007年12月22日

いよいよ明日。

この記事は2004年3月7日に書かれた記事を加筆修正したものです。


今日は、朝から雨の一日になっています。12月のこの時期、雪になってもおかしくないのでしょうが、今日は冷たい雨の日になっています。
さて、いつもなら、今日の一枚と言うところなのですが、「展覧会の絵」のプレ企画として、最後にもう一度展覧会の絵についておさらいしておこうと思います。何事も次に進むま絵に確認と復習は必要だと思いますので。
 ムソルグスキーは1839年生まれのロシアの作曲家。彼は、革命の嵐により貴族としての地位を失い、以後、決して恵まれた人生を歩んではいません。キュイ、バラキエフ、ボロディン、コルサコフらと組んだいわゆる「5人組」で音楽活動を行ないます。ムソルグスキーの作品にリムスキーコルサコフによる補作が多いのはこのためだと思われます。
 「展覧会の絵」は、若くして亡くなったムソルグスキーの友人で、建築家ハルトマンの遺作展覧会での印象を、ムソルグスキーが、ピアノ曲として作曲したものです。曲間にプロムナードと言う部分が挿入され、それがあたかも美術館の廊下を絵から絵に歩いていくかの様な効果を生んでいます。
 しかし、当時演奏会では1度も演奏されることはありませんでした。尚、彼の死後5年も経ってから出版されたものでした。
 この時点ではまだ、ピアノ曲、と言う位置付けなのですが、後には様々な編曲者の手により、管弦楽曲として演奏されることもあったようです。その中で最も有名なのは、モーリス・ラヴェル。曲が作られてから、約40年後、指揮者クーセヴィツキーの依頼により、ラヴェルがオーケストラ用にアレンジしたものです。
 今では、「展覧会の絵」と言うと、ムソルグスキーのオリジナルではなく、このラヴェル編によるものを指すことすらあります。
もちろん、ラヴェル以外にも、レオナルディ、カイリエ、ストコフスキー、ゴルチャコフ、アシュケナージ、といった人々による編曲もあります。
 しかし、考えてみると、ムソルグスキーと言う人は、「禿山の一夜」にしろ、「展覧会の絵」にしろ、第三者の手を経たものの方が有名になっていると言う不思議な作曲家です。おそらく、作り出すメロディーや、しっかりとしたモティーフによるところが大きいのかもしれません。
 私が、何故、この曲に興味を持つようになったかと言うと、この曲のラヴェル版は、オーケストラの中では、数少ないサクソフォーンが登場する曲であるからなのです。
曲は、ピアノ版よりもプロムナードが少ないなどの違いがありますが、ラヴェルのオーケストラ版では、以下のようになっています。
組曲《展覧会の絵》
1. プロムナード
2. こびと
3. プロムナード
4. 古城
5. プロムナード
6. テュイルリー
7. ビドロ
8. プロムナード
9. 殻をつけたひなどりのバレエ
10. サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
11. リモージュ
12. カタコンブ
13. 死せる言葉による死者への話しかけ
14. 鳥の足の上の小屋
15. キエフの大門

いろいろ、小難しいことを書きましたが、明日からの企画、お楽しみに!!(多分、読者の少ないこのブログ、誰も楽しみにしていない気が…)


  

Posted by のりくん at 10:12Comments(0)今日の一枚

2007年12月21日

価値観。

この記事は2004年3月6日に書かれた記事を加筆修正したものです。 


今日家の整理をしていたら、むかーし昔の洗顔せっけんというものが出てきました。パッケージに古いロゴで「カネボウ」とか、「小林コーセー」とかかいてあるものです。
 中のせっけんは問題なく使用できると思うのですが、高級なせっけんと言うことで、プラスチック製のせっけん箱がついてきていて、そのデザインやセンスが今見るとギョッとするぐらい野暮ったいのです。こういうのを「レトロ」と表現する人もいるのでしょうが、私は、ただのボロ臭いプラスチックにしか見えませんでした。(笑)当時は、少なくともお洒落なデザインだったはずなのですが…。よく、時代によって価値観や美意識も変化する、と言いますが、今日のせっけんはテレビでちょっとだけ昔の映像を見たときの違和感と同じような感覚を覚えた出来事でした。
そんなこんなで、今日の一枚なのですが、「展覧会の絵」プレ企画と言うことで今日の一枚は、

ブーレーズ~ボレロ
これが4Dサウンドだ!! vol.1
グラモフォン(ポリドール) POCG-9555

「展覧会の絵」でなぜこのCDか、と言えば、「展覧会の絵」には
かなりの確立で、「ボレロ」か「禿山の一夜」が一緒に入っているからです。で、4Dサウンドとは、何かというと、録音の機械的、技術的な話で、能書きには4つのディメンションがどうのこうの、
とかかれていますが、音楽を聴く目的でこのCDを購入した人には、
何の興味も無い能書きなので、ココには書きません。
 で、4D録音だからどうなの?と言えば、…別に普通の録音でもいいんじゃない?と言う感じ。確かに撮られた音はベールがはがされたようにクリアーな音の部分もありますが、録音の傾向としては、こんなバランスは無いんじゃないか、と思うことがしばしばです。これじゃ、デジタル録音云々よりも、昔のアナログ録音の方が…とすら思ってしまいます。まあ、時代背景としては、CDがアナログレコードより音が良くない、と言われ始めていた時代だったので、そういう時代が作り出したものなのかもしれません。きっと、今は、この音づくり(録音の上での)も一般化しているのかもしれませんが。録音に対する価値観も時代によって変化するのかもしれません。でも、生の演奏からするととても考えられない音作りです。ホントに。ある意味、耳が疲れてしまいます。(特にヘッドフォンを多用するリスナーは要注意です。)
 私は、録音というものは、アーティストと、エンジニアによる総合芸術だと思うのですが、いかがでしょうか。4D録音のエンジニアは私の好みではないのかもしれません。音をピンポイントで拾ってくるような感じに聞こえてしまうのです。
 それはともかく、曲の方は「ボレロ」と「禿山の一夜」他が入っているのですが、演奏は、一級品です。特にボレロはソロパートが多いので、もしかしたら、この4D録音向きの曲なのかもしれませんが。禿山は、よく耳にする、リムスキー=コルサコフ編曲版ではなく、原典版が使用されたものです。
 尚、カタログ様のオムニバス形式のため、演奏団体は統一されていません(曲によっては途中でフェードアウト)。
 いろいろ書きましたが、4Dサウンドって何?と思う方や、ちょっとだけボレロや、禿山の一夜が聞いてみたいという方にオススメです。


  

Posted by のりくん at 22:05Comments(0)今日の一枚

2007年12月21日

意気込み。

この記事は2004年3月5日の記事を加筆修正したものです。


さて、予告した「展覧会の絵」10日連続レビューの企画が迫ってまいりました。来週にははじめる予定。
自分でも10枚を紹介しきれるか、適切にレポートできるか、などと言う不安もありますが、ここは当初の10枚という意気込みを忘れずに行きたいと思っています。
 意気込みと言えば、昨日も書いたアンサンブルコンテスト。アンサンブルコンテストに出られている方々は、どのような意気込み、あるいは達成を持って出場されているのでしょうか。私は、コンテスト形式と言う趣旨を理解しているなら、当然全国大会を目指すべきもの、という意識をある程度もってコンテストに望みますが、皆さんはどうなのでしょう。また、ご意見ありましたら、掲示板にでも書き込んでください。
さて、今日の一枚ですが、「展覧会の絵」企画まで待てない、「展覧会の絵プレ企画」と言うことで、

アラベスク/神谷百子
神谷百子&フレンズ
フィリップス PHCP-11020

このCDはマリンバ奏者、神谷百子さん等による、打楽器(マリンバ)アンサンブル。このCDの5曲目に展覧会の絵が収録されています。マリンバ×3とバス・マリンバ×1による演奏です。
曲は原曲のピアノをマリンバに移して、と言うスタイルの編曲ではなく、マリンバのために全く新しいスタイルに曲を書いたと言う感じです。ただ、少し残念なのは、大切な、プロムナードが冒頭のものしかなく、後のプロムナードはごっそりカットされ、曲が全てメドレーのような形式で進んでいくこと。ちょっと、つまみ食いな感じです。
しかし5分30秒程度に凝縮されていることを考えると、かなり密度の濃いものになっています。展覧会の絵と言う曲を知っている人が編曲のおもしろさを楽しむのもいいのかもしれません。
マリンバの演奏もすばらしいもので、アンサンブル自体非常に美しく聞こえてきます。ドビュッシーのアラベスクなどに見られるアルペジォなどもマリンバで非常に美しく演奏されています。
ピアノに比べると、ゴリゴリしていない素朴ですっきりとした響きを聞かせてくれます。
このアルバムは神谷百子さんにとっては2ndアルバムになります。
1stアルバムは「マリンバ・カクテル」というタイトルでリリースされています。
 マリンバをただの木琴だと思っている方、聞いてみてください。マリンバ観のみならず、人生観も変わるかも?しれません。
打楽器に興味のある方、素朴であり、かつ、ダイナミックな鍵盤楽器の演奏をお望みの方、必聴の一枚です。

  

Posted by のりくん at 20:40Comments(0)今日の一枚

2007年12月20日

アンサンブル・コンテストとは。

この記事は2004年3月4日に書かれた記事を加筆修正したものです。

来年1月にはアンサンブルコンテストに出場します。
社会人になってまでもアンサンブルコンテストに出る「意義」を様々な人たちと意見交換し議論したりもしましたがいまだに結論はありません。「出たいから出る、でいいのでは」とよく言われますが、それも一理あるものの、私にはそれが全てであると言い切ることは出来ません。結構、難しくてデリケートな問題です。編成も、楽器も違う音楽に対して優劣をつけたり、評価を下すことを問題視する意見もあるようですが、その前提でコンテストに出るわけなので、それを言うと、前提条件を覆す議論になるのでそれもどうかと思います。
 さて、我々の話に戻りますが、数年前のアンサンブルコンテストで、数日前にも今日の一枚で紹介した《ハイ・ファイブ》の中からサクソフォーン・パラダイスを演奏しました。四国大会の審査員の一人はこのCDの演奏者の一人でおある彦坂眞一郎氏でした。
ただ、このCDは既に紹介してしまったと言うことで、今日の一枚は、

イノセント・ドールズトルヴェール・クヮルテット
東芝EMI TOCT-8276

トルヴェール・クヮルテットと、本多俊之氏の共演を聴くことの出来る最初のアルバム。約10年前の録音ですが、当時、からすばらしい演奏を聞かせてくれるトルヴェール・クヮルテットと、既にコンポーザーとしても大活躍中だった、本多俊之氏の演奏です。
 「ハイ・ファイヴ」に比べると、より、気張らないポップなイメージのアルバムだと、私は思います。曲目も、JAZZなものもあり、クラシカルなものもあり、その中間的なものもあり…と言った感じでしょうか。私のお気に入りは、一曲目の「陽だまり」。さわやかでありながら温かなイメージの曲です。(尚、元の曲名は違うものだったらしいのですが、アルバムが出る時点ではこの曲名に決定したようです。)
 サックスアンサンブルというジャンルにこだわらなくても気軽に聞ける一枚です。もちろん、演奏も非常にすばらしいものです。
サックスアンサンブルをされている方、ちょっとポップなBGMをお探しの方、楽しいサックスの演奏が聞いてみたい方にオススメの一枚です。


  

Posted by のりくん at 22:45Comments(0)今日の一枚

2007年12月17日

春が来た。(2004年3月3日の記事改訂版)

この記事は2004年3月3日に書かれた記事を加筆修正したものです。

前回までの日記に、夏は苦手だ、などといろいろ言っておきながら今日は職場からの帰りに寒さのため、早く暖かくならないかな~などと思ってしまいました。本当は春が来るのが嬉しいのかもしれません。でも、でも、夏は苦手です。暑さに弱いので。
 春といえば梅、そして桜、卒業、入学などというキーワードも浮かんできます。月並みですが。4月8日は花祭りというのもありますね。確かお釈迦様の誕生日。お釈迦様に甘茶をかけるあれです。
なぜか日本は建前上は仏教が主流の国なのに最近は花祭りという行事のことをあまり知らない人もいるようです。クリスマスであれだけ騒いでおきながらちょっと不思議な気もします。
そこで今日の一枚。

ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」(1921年版)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団

この曲のテーマは平たく言えば異教徒の祭礼と生贄の儀式。かなり血なまぐさいものを想像させますが、実はその通り。
このデュトワ盤は、この音楽を色彩豊にみずみずしく聞かせてくれます。完璧ともいえるリズムとアインザッツも聴き物。また管楽器の演奏も秀逸です。
 ところでこの曲の冒頭にはファゴットのソロが登場するのですが、デュトワ盤といわず、最近の演奏は綺麗に美しく吹きすぎるきらいがあるようです。もともと、低音を奏でるべきファゴットに無理やり高い音を吹かせて絞め殺したような音色の効果をストラヴィンスキーは狙っていたようなのですが、最近の演奏者は技術的にもレヴェルが高く、楽器もいいものを使っているのでものすごく、コントロールされた美しい旋律に聞かせてしまうようです。どちらが正解で、どれがいい、というのは無いと思うのですが、無理やりやろうとして破綻した美しさ、というものも世の中には存在するのかもしれません。
 美しい戦慄も持ちながら、終始エキゾチックなリズムと、管楽器による咆哮に支配されている感覚を受けます。
録音も秀逸なのでストラヴィンスキーの音楽に触れてみたい人にはオススメの一枚です。また、アンセルメ/スイスロマンド管弦楽団
の演奏や、ドラティ/デトロイト交響楽団の演奏なども精緻なアンサンブルが聞けて、ストラヴィンスキーの音楽を味わえる一枚としてオススメです。

  

Posted by のりくん at 23:41Comments(0)今日の一枚

2007年12月17日

暖かくなってくると。(2004年3月2日の記事改訂版)

注:この記事は2004年3月2日の記事を加筆修正したものです。

既に12月。これからが冬本番ですが、今年はスキー場などにはある程度まとまった雪も降ったようです。これから、寒さも本番を迎えますが、私は夏が苦手です。暑いのにも増して、最近はどこに行ってもエアコンのせいで寒暖の差が激しく、アレルギー性鼻炎な私は、真夏に鼻水を流しながら、人に「夏風邪?」と聞かれることもしばしば。
 まあ、冬は本番なので、夏のことを考えるのはまだまだ先のことなのですが、夏になると、ラテン物の音楽が流行ったりします。やっぱり、暑さがラテンさを誘うのかもしれません。もしかしたら、多くの人も言うように、日本の夏祭りと、ラテン系のお祭り騒ぎは相通ずるものがあるのかもしれませんが、日本人の気質上、なかなかラテンと通ずるものを見出すのは難しいような気もします。
そこで今日の一枚。

熱帯JAZZ楽団(TROPICAL JAZZ BIG BAND)4
~La Lumba~
ビクターエンターテイメント VICJ-60642

このCDはオルケスタデラルスにいたカルロス菅野氏が、主催するTOROPICAL BIG BANNDOのアルバム第四弾。もちろん、第一弾からあり、現在第六弾までリリースされています。
 暑い暑い音楽いやもとい、熱い熱い音楽が、繰り広げられています。この中で私のお気に入りはやはり、「Lupin the third」
そう、ルパン三世のテーマ。大野雄二氏による、有名なあのテーマをアレンジしたものです。
 演奏のテクニックもつわものぞろいでBIGバンドとしてもすばらしいアンサンブルを聞かせてくれます。もちろん各楽器のソロも聞きもの。渋いソロだったり、遊び心満載のエンターテイメント的なソロを聞かせてくれたり、(そこがまたラテンチック。)します。
夏に先駆けて、今から聞いて夏の準備をしてみればいかが、という一枚です。

  

Posted by のりくん at 19:18Comments(0)今日の一枚

2007年12月15日

癒し系なのか。(2004年3月1日の記事改訂版)

12月、師走も半ばになりました。早いもので、この日記を書き始めてから10日以上たちました。まあ、日記のスタイルがどうということはこの際抜きにして、正直ここまで続くとは自分でも思っていませんでした。BBSに書き込みしてくださった方をはじめ、このページを応援してくださっている方々に感謝しています。
 ところで最近ちょっと疲れています。別にスポーツをやってるとか、肉体労働で体を酷使する、とい言うことではないのですが、深夜に色々な作業などをやっていることが祟って精神的にも、肉体的にも疲れている感じです。私は以前から肩こり症なのですが(凝り性じゃなく肩こり症。)最近、一層肩の筋肉がこって硬くなってきました。癒しを求めているのかもしれません。でも、何となく癒し系という言葉は好きになれません。「~系」という言葉からは落ち着きとはかけ離れた軽薄さや、派手さをイメージしてしまうからだと思います。因みに、ある人に言わせると、私は「ストレス系」なのだそうです。人にストレスを与えている私でしょうか?
 さて、今日は疲れたときの一枚。

立体音響で聞く 高原の朝 (Nature Sound Gallery)
DELLA DLNS-107

このCDは、富士山麓、清里高原、軽井沢といった場所で自然音を立体録音したもの。音楽CDというよりは音響CD、あるいは環境音源といったほうが正しいのかもしれません。朝もやの静かな情景が、音として記録されています。
 これはあくまで私の希望、お勧めなのですが、出来ればいい音の出る音響システムやヘッドフォンで楽しむものだと思います。イチキュッパとかの安いラジカセだと、ラジカセの機械的なノイズで、CDに記録された自然の空気の音(うまく表現できないのでこう書くしかないです)が、かき消されてしまいます。また、スピーカーよりもヘッドフォンで聞くことをお勧めします。さながら、本当にその情景の中に自分がいる感覚を体験できます。
癒されたいと思うよりも、ゆっくり自分で癒す、という感覚で聞くほうが効果的だと思います。
 私は時々、オットマンつきのリクライニングチェアに座って、ヘッドフォンで聞いています。そのまま、寝てしまうことも多いのですが。(笑)あと、朝の目覚めにあわせて、タイマーで再生するのもいいです。
 心が疲れたとき、「誰かに癒されたい」、と思うよりも、そんなことを抜きにしてゆっくりとした流れの中に自分を置くほうがよっぽど癒される気がするのは私だけでしょうか。
 疲れたと感じる人、静かな時間を過ごしたい人、リフレッシュしたい人におオススメです。


  

Posted by のりくん at 22:19Comments(0)今日の一枚

2007年12月15日

お手本にした。(2004年2月29日の記事改訂版)

関係ないですが、我が家の愛犬、通称駄々駄犬「もも」です。


この写真はうちにやってきたその日に撮ったものなので、まだ生後3ヶ月ちょっとの時。


注:この記事は2004年2月29日に書かれた記事を加筆修正したものです。

先月、「高松ウインドシンフォニーアンサンブル・コンサート」なるものに参加しました。毎年1回行なわれ、今年で3回目。今年も付け焼刃、泥縄と言った感が否めませんが、演奏会自体は大盛況で、お客さんにも楽しんでもらえたようです。
私が、サックスをはじめて吹き始めて、はや二十数年が経過しました。でも、いまだにこれは絶対満足、という演奏が出来ていないような気もしています。日々精進。
そこで今日の一枚。

亜麻色の髪の乙女
キャトルロゾー・サキソフォン・アンサンブル
ファイアーバード(キング)KICC-69


このCDもサックス・アンサンブルのCD。私にとってはある意味バイブル的なものです。ちなみに、この「亜麻色の髪の乙女」は、島谷ひとみも、ビレッジシンガーズも関係ありません(笑)ドビュッシーの曲です。
私が中学生の頃は、サックス・アンサンブルの音源が非常に少なく、特に、日本人の演奏家による音源はほとんどリリースされていませんでした。そんな中、このキャトルロゾーは、数少ない演奏家として、すばらしい演奏を聞かせてくれました。当時はミュージックテープ(そんな時代もありました。)で、それを中学校の先生にダビングしてもらって聞いていました。
この中の、「異教徒の踊り」という曲は特に思いで深い曲です。中学2年生当時、アンサンブルコンテストに出場した時の曲でした。
当時としては、ダブルタンギングなどの先進的な技術も要求される結構難曲でした。そして、お手本としていつも聞いていたのがこの演奏です。(にも、かかわらず、自分達の演奏は全く違った表現、雰囲気の曲になってしまいました。)
 後に、CDとして発売された時、あのすばらしい音色とアンサンブルを聞きたいと思い、すぐ買いました。今でも、色あせない名演奏、名録音だと思います。
 このCDも吹奏楽でサックスをはじめたばかりの方や、クラシックサックスに興味を持ち始めた方にオススメの一枚です。

  

Posted by のりくん at 22:09Comments(0)今日の一枚

2007年12月14日

感動する。(2004年2月28日の記事改訂版)

この記事は2004年2月28の記事を加筆修正したものです。

明日は土曜出勤で仕事です。その代わりに今日金曜日がお休み。土曜日で多いパターンは、午前中はアンサンブルの練習、夕方から吹奏楽団の練習というパターンです。天気が良かったので洗車でも、といいたいところですが、車は廃車にして現在代車生活のため、洗車自体に意味がありません。今はしませんが、普段、たまに洗ってワックスがけをすると、信じられないくらいすっきりと綺麗になったりします。ワックスがかかった車を見て、我ながら、美しいと、感動するとかしないとか。感動。
今日の一枚。

マルセル・ミュールに捧ぐ
トルヴェール・クァルテット
東芝EIM TOCE-5528


このCDは、トルヴェール・カルテットによる、正統派フランスものレパートリーの演奏。
全てにおいて、技術、表現といったものがすばらしい一枚。
まさに、現代クラシックサクソフォーンの祖というべきマルセルミュール氏に「捧ぐ」というタイトル通りの演奏です。
特に、私はグラズノフの四重奏曲のカンツォーナ・ヴァリエのショパン風、ボザのアンダンテとスケルツェットのアンダンテなどに感動しました。私たちが、この曲を演奏すると、いや、この曲に限らず私たちが演奏すると、とかく表現をビブラートに頼って、ビブラート過多の下品な演奏になってしまうのですが、この演奏は、しっかりとした表現であり、なおかつ抑制され、コントロールされたビブラートを必要最低限使用している感じです。まさに、高い音楽性のなせる技としか言いようがありません。
吹奏楽でサックスをはじめたばかりの中高生の方には、最初にこのコーナーで紹介したデファイエ四重奏団のCDと同様に大オススメな一枚です。もちろん、JAZZでしかサックスを耳にしない人に聞いていただいて、クラシックサックスの奥の深さを知っていただくのにも、うってつけのCDです。
純粋に、クラシックとしてもお勧めしたい、美しい音色と、すばらしい音楽に感動できる一枚。

  

Posted by のりくん at 20:12Comments(0)今日の一枚

2007年12月13日

狂気の沙汰。(2004年2月27日の記事改訂版)

この記事は2004年2月27日に書かれた記事を加筆修正したものです。


最近、歳を食った為か、高校生や中学生についていけないことがあまりに多いことに愕然としてしまいます。それは、単に世代が違うと言うだけではなく、合理性のある行動と言うことを考えると、、合理性や、見た目、利害関係といったことよりも、若さから溢れるエネルギーのようなものの圧倒感を感じずにいられません。そして、それが合理性などを凌駕して、行動してしまう凄さ。自分が、学生と時はどうだったかと考えると、やはり、今考えると何であんな事したんだろう、という狂気の沙汰としか思え無い行動をとっていたこともありました。狂気の沙汰。
そこで今日の1枚は

Classic PERFORMANCES Bernstein's America
グラモフォン(ユニバーサルミュージック、輸入盤)
ロサンゼルスフィルハーモニー
ニューヨークフィルハーモニー他
2枚ぐみ 289 4763 465-2

このCDは、バーンスタインの自作自演の曲が1枚目に、あと、何人かのアメリカの作曲家(コープランドやガーシュウィン)の曲が2枚目に収録されています。アメリカの音楽を楽しめるものになっているのですが、この1枚目に〈「ウエスト・サイド・ストーリー」より、シンフォニック・ダンス〉が収録されています。言わずと知れた、有名なミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の中からバーンスタインが抜粋、オーケストラの演奏用メドレー形式でに組みなおしたのがこの曲です。なぜか、あの有名な「America」のメロディーは入っていないのですが。このCDの演奏はロサンゼルス交響楽団。決定版として皆に良く聞かれているのは、これよりも古い演奏のニューヨークフィル版です。
 余談ですが、ニューヨークフィル版は、演奏のレベルは高いものの、ある意味バーンスタインの完全に意図する演奏では無いようです。曲中に「MANBO!」と叫ぶ指定があるのですが、当時のニューヨークフィルのメンバーは、叫ぶことを頑強に否定し、実際の録音の時は「MANBO!」の声はありません。
で、ロサンゼルスフィル版ですが、ライヴ録音と言うこともあって熱演。少々、アインザッツが怪しかったり、音がはみ出している部分もありますが、そんなことはお構いなしの、いい意味でアメリカンチックな演奏です。マンボやクールのトランペットのシェイクも狂気の沙汰。少しぐらい音がひっくり返りそうになっても気にしないといった勢い。金管楽器はこれでもか!みたいな熱演です。こんなこと言うとJAZZミュージシャンに怒られるかもしれませんが、最近のオンマイクの演奏ばかりのJAZZのスタジオミュージシャンなんかでは太刀打ちできないパワーとテクニックです。ホントに。
狂気の沙汰の熱演ではありますが、美しい部分もきちんと聞かせてくれます。
 むしゃくしゃしている時に聞くと、楽しくなり、やがてしっとりと落ち着かせてくれます。もちろん、「ウエスト・サイド・ストーリー」の世代の方々にもオススメの一枚です。
  

Posted by のりくん at 21:39Comments(0)今日の一枚

2007年12月12日

新たなもの。(2004年2月26日の記事改訂版)

さて、この日記、常にネタが枯渇する恐怖と戦いなら(笑)書いています。ここで言う、ネタとは決してCDを紹介しきってしまう、と言うことではありません。
私は、2年間、毎日紹介しつづけてもまだ余りある程度のCDは所有しています(ちょっと自慢?)。ネタと言うのはいつも、前段に書いているこの部分のこと。今までの考えから搾り出せなければ新たにネタを作るべく、引出しを増やしていくしかありません。
そこで今日の一枚。

清水靖晃&サキソフォネッツ
J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲1.2.3.番J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲1.2.3.番
(ビクターエンターテイメント)VICP-235

これをパッとみてああ、あの曲、とわかる人は多少なりともクラシックに興味がある方でしょう。しかし、興味のない人が見れば??って感じかもしれません。判りやすく言えば、数年前に車のトヨタクラウンのコマーシャルに使用されていたあの曲、あのヴァージョンです。
 清水氏はジャンルで言えばJAZZの世界の方なのでしょうが、それが、バッハ。チェロの曲をテナーサックスで吹いてしまうという企画。音域的にはバリトンサックスな音域かもしれないのですが、それをあえてテナーサックスで吹いているようです。テナーの太身な低音が良く聞こえてきます。
 JAZZとバッハは意外と近いところにあるものだ、と実感させてくれるアルバムでもあります。バッハの曲は、様々な形態、楽器で演奏されていますが、もとの楽譜上は、スラーやタイの指定が全くされておらず、強弱記号なんかはもちろんかかれておらず、速度記号なんかも??です。物によっては、どの楽器で演奏すべきかも考えなければならないらしいです。
 無伴奏チェロ、と言っていますが、バッハの時代のチェロと、今の時代のチェロが同じ音色だとはとても思えません。
つまり、バッハの音楽は即興性や自由度の非常に高い音楽なのです。それだけに表現が難しいのですが。
このCDでは、録音場所に関しても様々な試みがなされ、自然の音響、残響を楽しむことが出来ます。
バッハを、このように演奏することはJAZZだけでなく、クラシックを聞く人に対しては非常に興味深いものです。もともと、サックスと言う楽器は完成して100年少々のまだまだヒヨッコな楽器なのですが、その楽器でもって巨匠バッハに挑むと言う度胸は、まさに新しい試み。
 音楽的にも、茶化したところや、冗談めいたところは一切感じない、真剣なアプローチが聞いて取れます。まさに温故知新といった部分を持った、新たな取り組みのアルバムと言えます。バッハの音楽に「こうあるべき」が一切存在しないことを感じることが出来るアルバムでもあります。
 バッハを宗教音楽としか考えない人、バッハの音楽を神聖なものとして意地になって守りつづけようとする保守的なアマチュアの音楽愛好家に是非聞かせてあげたい逸品です。
なお、同じくビクターエンターテイメントより、4.5.6番の収録されたアルバムもリリースされています。
  

Posted by のりくん at 22:22Comments(2)今日の一枚

2007年12月11日

はじめのイメージ。(2004年2月25日の記事改訂版)

注:この記事は2004年2月25日の記事を加筆修正したものです。


初対面の時の最初の印象は大切だと言います。
実際、はじめにこの人はこんな人、と決めてしまうと、そこからの会話から抜け出せなくなるので、益々、そのイメージが固定化されてしまいます。
私自身は、容姿のせいか、目つきのせいか、はたまた本当に人間性の問題なのかは判りませんが人からよく、とっつきにくい、恐そう、話し掛けにくい、と言われます。
思うのですが、話し掛けやすい人って言うのは、案外、話し掛けてくれる人、だったりします。
いずれにしても、相対的なものだったり、自分の作り出したイメージを固定化していたりするので、時には人に対する見方を転換してみることも必要だということでしょうか。
さて、イメージの固定化といえば、今日の一枚は、まさにそれ。
今日の一枚は、

レスピーギ/ローマ三部作(リンク先のCDは再発された廉価版です。)
(「ローマの松」「ローマの祭」「ローマの噴水」)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
LONDON(ポリドール)F35L-21014

このCDは、同じ内容のLPも持っています。巷のオーディオマニアにとっては、このLP版は、CDよりもLPのほうが音が良いことを実証できる名盤なのだそうですが、私は気にして聞いたことはありません。なにせ、今はLPが聞けない状況なので。
購入した時はCDアルバム1枚が平気で3500円もした時代でした。
今は、大概、2000円前後です。
この後、同じ曲目の、ムーティー指揮:フィラデルフィアとか、
トスカニーニ指揮:NBCといったものも購入しましたが、どれもイマイチに感じてしまいます。全て、わりと名盤との評価の高いものなのですが、はじめに買ったのが、デュトワ版なので、それと比べて、何か違う、と思ってしまうのが原因です。
 ムーティー版は、派手な音色はこの曲にぴったりなのですが、テンポが少し遅いと感じてしまいます。さらに、強奏時に細かいアンサンブルが聞き取りづらい部分や、音が、飽和しきってしまうところを感じてしまうところが残念です。
 トスカニーニ版は、録音が古く、モノーラル録音なのですが、技術的にも、色彩感的にも、ステレオ録音と比べて遜色を感じないほどすばらしいのですが、金管楽器の血管の切れそうな音が時折聞こえるのは、鬼気迫るものがあっていいと感じる反面、演奏に余裕が無いと感じたりもします。テンポ的には、わりと前へ、前へと流れるスムーズな感じ。
 デュトワ版は、クリアーで色彩感豊か。演奏の細かいディティールまで描き出した、緻密な絵画と言う感じでしょうか。テンポもわりと小気味良く流れていると思います。ただ、どーんと行きましょう、的なフォルテが無いので物足りなく感じる人もいると思います。
 つまり、私は、デュトワ版を聞きすぎたために、後の演奏に違和感をおぼえるようになってしまいました。
 第一印象は、人に対してだけでなく、何事にも影響を及ぼしていると実感する出来事です。
とは言え、上の3つの版はどれもすばらしい演奏です。機会があれば、是非聞き比べてみてください。

  

Posted by のりくん at 23:13Comments(0)今日の一枚

2007年12月09日

昔は。(2004年2月24日の記事改訂版)

この記事は2004年2月24日の記事を加筆修正したものです。

さて、昨日のCDプレやーに引き続きちょこっとプリメインアンプの画像などをUPしてみようと思います。



さっき書き込んだはずの日記が書き込めず、消えうせてしまったことに涙しながら書いてます。

インフルエンザの時期です。地域によっては大流行しているようです。
皆さんもお気をつけ下さい。

私は、花粉症という診断は受けていないのですが、小児喘息だったり、アレルギー性鼻炎だったりしたので、やっぱり、季節の変わり目や、寒いこの時期体調を崩しやすいのです。オマケに、暑さが苦手なので、夏が近づいてくると、多少なりとも鬱な気分になってしまいます。

私が、小さい頃や、小学校の頃までは、花粉症という言葉自体ほとんど聞いたことがありませんでしたが、いまや花粉症の人だらけになってしまいました。きっと近代化や都市化のありがたくない副産物なのかもしれません。ちょっと昔が懐かしいですね。
そんなときには、今日のこの一枚。

TV JAZZ(ティーヴィー・ジャズ)(昭和40年代編)
矢堀孝一、古川初穂、新澤健一郎、八木敬之、岡田治郎、大坂雅彦
SubConscious Label SUB-1008

これは、昭和40年代に聞いた、TVテーマをJAZZで聞こうというもの。曲目は

11PMのテーマ
サスケのテーマ
今日もどこかでデビルマン(「デビルマン」エンディングテーマ)
ひみつのアッコちゃん
力石のテーマ(「あしたのジョー」挿入曲)
ど根性でヤンス(「ど根性ガエル」エンディングテーマ)
天才バカボン
ルパン三世主題歌1(「ルパン三世」オープニング)
SCAT THEME(「ルパン三世」挿入曲)
妖怪人間ベム
ウルトラQ

が収録されています。ルパン三世は、テレビシリーズの1作目のもので、二作目の大野雄二氏による曲ではありません。(ルパンの着ているジャケットが青緑の方です。)現在、40歳前後の方にはなつかしいアニメやテレビ番組のテーマなどがあると思います。
このCDが凄いのは、単なるイロモノ、キワモノといったイメージを払拭してまだなお、余りあるほど、ちゃんとJAZZしているところではないでしょうか。確かに笑える要素も盛りだくさんなのですが
きちんとJAZZとして聞けるアルバムです。
なので、バリバリのJAZZを少し聞き疲れした方や、これから、JAZZを楽しみたいけど、コルトレーンだのマイルスだの、皆難しいことばっかり言ってるのでとっつきにくい、という40歳前後の方にオススメです。(なんてスポットな薦め方)
 興味のある方は是非どうぞ。因みに、第二弾として「ティーヴィー・ジャズ・セヴン」というアルバムもリリースされています。

 さて、昨日お知らせした「展覧会の絵10日間企画」ですが、現在年末の開始を目処に計画中です。お楽しみに(誰も楽しみにしてないって?)  

Posted by のりくん at 21:59Comments(0)今日の一枚