2007年12月25日

表現。

この記事は2004年3月10日の記事を加筆修正したものです。

私は、別に心理学的にフェイス・マスク的表情な訳ではないのですが、時折、人に表情が乏しく何を考えているかわからないときがある、と言われたりします。人によっては常に怒っているようで、近づきにくいとまで言います。表情と言う意味でのプレゼンテーションは人よりも少ないのかもしれません。なので口を大きく開けて、大声で笑う人とかを見ると、ちょっと羨ましいこともあります。感情を表現するにも、ある程度トレーニングが必要と言われていますが、どこでどうなったのか、私にはそのトレーニングが人生の中で不足しているのかもしれません。
 さて、そんなところで今日の一枚、今日の「展覧会の絵」は、

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮/NBC交響楽団
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
RCA(BMGジャパン)BVCC-9930

これも、「展覧会の絵」の名録音と言われるものの一つです。音源はモノーラル。なので、オーディオ的には今のステレオ、デジタル録音とは多少違った趣があります。
 これを聴いてみての、全体の個人的な印象は、トスカニーニと言う指揮者は、楽譜にかかれたこと以外を一切行なおうとしない人ではないだろうか、と言うことです。指揮者によっては、いやらしいほど感情を込めて音楽を作る人もいますが、その対極の演奏といっても良いかもしれません。
いや、世間のトスカニーニの評価はこの対極にあるのかもしれませんが…。
 演奏は、割と音価を短くとり、溌剌とした若々しいイメージの展覧会となっています。プロ-ムナードは全てにおいて前に流れることを重視した音作りで、それぞれのプロムナードに違う解釈を行なうということはあまり感じられません。
 しかし、モノーラルにもかかわらず、これだけの色彩感を感じられる演奏は凄いとしか言い様がありません。多分、ステレオ録音されていたなら、そのまばゆいばかりの色彩感に目がくらむほどの演奏かもしれません。
 古城のサックス・ソロは、美しい音色で演奏され、音の表現も楽譜に忠実です。ただ、もう少し情感が感じられる表現でもいいのにな、と言うのが個人的な感情です。ババ・ヤーガ-は、多少、Tpが通常と違う音の解釈のような気はします。キエフとの間は開けずにそのままなだれ込む感じ。そして、4小節ごとの後半の2分音符は旋律とは一旦吹き分けて和音としての音楽にしています。アチェルランドは派手目。
 イメージとしては、中庸な大きさのキャンバスにサインペンで瞬時に正確な絵を書き上げた感じでしょうか。あるいは、べらんめえ調の江戸弁で、「こちとらぁ職人なんでぃ、いらねえ表現しねえできっちり吹きやがれェ!」みたいにも感じる演奏です。
古い録音、演奏ですが、今の時代に聞いても(音質はともかく)古さを微塵も感じないすばらしい演奏です。
 他の「展覧会の絵」を持っていて、もう一枚CDをと思う人には特にオススメ。もちろん、コテコテの演奏に飽きた人が聞くのにもうってつけの一枚です。


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