2008年09月20日
力強さ。
最近、疲れが溜まっています。
残業続きの上に、いつまでたっても終わらない仕事をしている気分になっています。私は体力があるほうでもないので、少しずつ、溜まった疲れがいつの間にか大きな疲れとなって押し寄せてきます。
連休に休めばいいのですが、この時期、サクソフォンアンサンブルコンサートを始め、演奏会や演奏以来が目白押し。練習も含めると、休む暇もなくやってくる感覚です。ヒマをもてあましてボーっとしているのもどうかとは思いますので、色々やることがあるほうがいいのでしょうが、疲れが溜まり続けるのも問題かもしれません。
もっと人生に迫力が欲しい気もします。何が足りないのかもわかりませんが…。
まずは、体力的な力強さが足りないのかもしれません。精神、肉体ともに脆弱です。 そこで今日の一枚です。

マーラー/交響曲第5番
指揮:クリスト・フォン・ドホナーニ
クリーヴランド管弦楽団
LONDON(ポリドール) POCL-2768
このCDはドホナーニ/クリーヴランドによる俗に言う「マラ五」です。ほかの方はどうかわかりませんが、私はこの2楽章の冒頭を聞くとふつふつとこみ上げてくる怒りの感覚を思い出したりするのですが、いかがでしょう。終楽章は牧歌的に始まり、最後は喜びの中で曲は終わっていきます。感情を爆発させたような曲はオーケストラにとってもかなり体力を消耗する曲のようです。
この曲はマーラーが最も充実していた時代の作品だけに楽曲的にも充実していて、マーラーの作品の中でも人気のある曲のようです。冒頭のトランペットのソロは、あたかもメンデルスゾーンの「結婚行進曲」を思わせるリズムと音(途中までは全く同じリズムと音程です)から、いきなりマイナーコードの旋律へと向かっていて、苦悩と混迷を感じるものとなっています。
それにしてもマーラーの交響曲はベートーヴェン以上に、人間臭さというか、人間の感情がこめられた曲のような気がします。指揮者としてのマーラーも有名だったようで、今の様に、全身を使って情感豊かな指揮を最初にし始めたのもマーラーだったと言われています。それまでの指揮はどちらかというとテンポキーパー的な意味合いが強く、指揮者が体を大きく動かすことは無かったようです。しかし、今の指揮者はマーラーの指揮法に少なからぬ影響を受けていると言えます。ひとつにはマーラーの書いた曲は巨大な編成のものが多く、体を大きく使う必要が生じたと言うこともありますが、指揮者の曲に対する感情を体で表現する、という指揮者として今は常識的な行為もマーラーがいなければ、許されていなかったのかもしれません。
ドホナーニ/クリーヴランドの演奏はどちらかと言うと感情に溺れることなくクールです。クリーヴランド管弦楽団のクリアーな音色とあいまってさらにスマートな演奏になっていますが、聴きかたによっては、マーラーらしからぬさめた演奏と感じないでもありません。しかし、抑制された感情表現が音楽には必要なのだとすると、まさに正しいアプローチなのではないかと思います。
交響曲で全身で様々な感情を体験してみたい方、マーラーの交響曲を聞いてみたいと思う方の入門にオススメの一枚です。
残業続きの上に、いつまでたっても終わらない仕事をしている気分になっています。私は体力があるほうでもないので、少しずつ、溜まった疲れがいつの間にか大きな疲れとなって押し寄せてきます。
連休に休めばいいのですが、この時期、サクソフォンアンサンブルコンサートを始め、演奏会や演奏以来が目白押し。練習も含めると、休む暇もなくやってくる感覚です。ヒマをもてあましてボーっとしているのもどうかとは思いますので、色々やることがあるほうがいいのでしょうが、疲れが溜まり続けるのも問題かもしれません。
もっと人生に迫力が欲しい気もします。何が足りないのかもわかりませんが…。
まずは、体力的な力強さが足りないのかもしれません。精神、肉体ともに脆弱です。 そこで今日の一枚です。
マーラー/交響曲第5番
指揮:クリスト・フォン・ドホナーニ
クリーヴランド管弦楽団
LONDON(ポリドール) POCL-2768
このCDはドホナーニ/クリーヴランドによる俗に言う「マラ五」です。ほかの方はどうかわかりませんが、私はこの2楽章の冒頭を聞くとふつふつとこみ上げてくる怒りの感覚を思い出したりするのですが、いかがでしょう。終楽章は牧歌的に始まり、最後は喜びの中で曲は終わっていきます。感情を爆発させたような曲はオーケストラにとってもかなり体力を消耗する曲のようです。
この曲はマーラーが最も充実していた時代の作品だけに楽曲的にも充実していて、マーラーの作品の中でも人気のある曲のようです。冒頭のトランペットのソロは、あたかもメンデルスゾーンの「結婚行進曲」を思わせるリズムと音(途中までは全く同じリズムと音程です)から、いきなりマイナーコードの旋律へと向かっていて、苦悩と混迷を感じるものとなっています。
それにしてもマーラーの交響曲はベートーヴェン以上に、人間臭さというか、人間の感情がこめられた曲のような気がします。指揮者としてのマーラーも有名だったようで、今の様に、全身を使って情感豊かな指揮を最初にし始めたのもマーラーだったと言われています。それまでの指揮はどちらかというとテンポキーパー的な意味合いが強く、指揮者が体を大きく動かすことは無かったようです。しかし、今の指揮者はマーラーの指揮法に少なからぬ影響を受けていると言えます。ひとつにはマーラーの書いた曲は巨大な編成のものが多く、体を大きく使う必要が生じたと言うこともありますが、指揮者の曲に対する感情を体で表現する、という指揮者として今は常識的な行為もマーラーがいなければ、許されていなかったのかもしれません。
ドホナーニ/クリーヴランドの演奏はどちらかと言うと感情に溺れることなくクールです。クリーヴランド管弦楽団のクリアーな音色とあいまってさらにスマートな演奏になっていますが、聴きかたによっては、マーラーらしからぬさめた演奏と感じないでもありません。しかし、抑制された感情表現が音楽には必要なのだとすると、まさに正しいアプローチなのではないかと思います。
交響曲で全身で様々な感情を体験してみたい方、マーラーの交響曲を聞いてみたいと思う方の入門にオススメの一枚です。
Posted by のりくん at 19:27│Comments(0)
│今日の一枚