2008年07月13日
世の中と疲れ。
さて、最近たいしたこともしていないのになぜか疲れがたまっている気がします。顎関節症で、噛み合わせが悪いせいもあるのでしょうが、肩こりから来る頭痛に悩まされ、体からは何となくだるさが取れない気がします。睡眠も暑さにまいりながらも割と十分にとっているようには思うのですが、疲れが今ひとつ取りきれません。
私は、中学校の時から吹奏楽部でサックスを吹き始めました。当然、その時からアンサンブルなどもしていました。ただ、私の学生時代は、部活動などでも、漸く根性論から脱却し、効率的な練習が浸透し始めた頃でした。なので、私が中学生の頃はまだまだ、吹奏楽部であるのにもかかわらず、腹筋、走りこみ、などが日常的に行なわれていました。今は、あまり聞きません。(でも、田舎の中学校とかに行くと、いまだに本気で、腹筋や走り込みで腹式呼吸いが出来るようになる、と信じられていたりして驚きます。)もちろん、運動部でも、水分の補給を制限する、という行為が結構あたりまえに行なわれていました。
まあ、楽器の技術は向上しなくても、根性はついたので、その点は、苦しく長いロングトーンに対しても期待が持てることを考えて頑張ったり、練習の苦しさが、たいしたものではないと感じられるようになったのは根性論練習の副産物かもしれません。
近年、鬱や、統合失調症、パニック障害、などがかなりスタンダードな症状として、取り上げられるようになりました。少なくとも私が学生時代にはあまり、知られていない、ある意味世の中から排斥されタブー視されていたものかもしれません。障害者福祉の概念の変化や、病院への受診のしやすさなども手伝ってなのかもしれませんが、最近は患者さんの数も増えつづけているようです。
いまだに原因がはっきりとは解明されていないことのようですが、ストレスに対して脆弱性をもった人がかかりやすい症状状だとも言われます。しかも症状が出てしまうと、さらにストレスに対する脆弱性を持ちながら治療しなくてはならないという、二重のストレスを感じなければならないことも多いようです。その症状が有るが故に社会からのストレスが増えることも有るので、一層、本人に対しては過酷なことも続く気がします。
いろいろ考えるに、世の中が疲れているのではないか、と私は思うのです。疲れていると、いらいらしてくる、人間関係がギクシャクしてくる、そうならないために気を使い、そのためにさらに疲れてゆく、という悪循環です。また、人間関係がギクシャクしてくるために揉め事が」起らないように細かに「契約」と言う作業が必要となります。犯罪の防止云々もありますが、契約をきちんと交わすということは、責任の所在をはっきりさせることでもあり、自己責任、という面では、ある意味冷酷な結果が待っていることもあります。体は、疲れても心は、疲れないような社会になればいいのですが、とにかくストレスフルな時代になってしまいました。今あることを楽しめず、先の見えないものを追い求める社会のような気がします。
すみません、訳のわからないことを、うだうだ書きましたが、今日の一枚です。

シェパード・ムーン/エンヤ
ワーナーミュージック WMC5-450
このCDはオリノコ・フロウの爆発的ヒットで、一躍有名になったアーティスト、エンヤの3枚目に当たるアルバムです。エンヤと言う人は、シンガーソングライターと言うよりもむしろ職人的なアーティストといったほうがいいかもしれません。アルバムを制作するに当たり、ヴォイスの部分は自分の声を多重録音していく手法で作って有ります。つまり、何人で唄っているように聞こえても実は全てエンヤの声、という不思議な世界になります。録音というよりは、いかに自分の声を加工してイメージの音にミキシングしていくか、という作業のようです。
このアルバムでは、幻想的な響きに満ちているだけでなく、ケルト音楽やラテン音楽などまでも取り入れて、緩やかなメロディと見事に結うごさせています。
以前も書きましたが、私は「癒し系」と言う言葉があまり好きでは有りません。ですのでこのアルバムもひとことで癒し系、と片付けるのには抵抗があります。私はエンヤの音の作り方から考えても、緩やかな音楽の中に自分自身の内面を見せてくれる音楽なのではないかと、思っています。忙しい世の中、自分と正直に向き合う機会が少ない中で、厳しさを持って根性を入れて自分と対峙するのではなく、静かに自分の内面の世界に深く溶け込み、自分自身とどうかしていくような、そんな音楽だと思います。
疲れているときに一人でゆっくり聴くのにオススメのアルバムです。
私は、中学校の時から吹奏楽部でサックスを吹き始めました。当然、その時からアンサンブルなどもしていました。ただ、私の学生時代は、部活動などでも、漸く根性論から脱却し、効率的な練習が浸透し始めた頃でした。なので、私が中学生の頃はまだまだ、吹奏楽部であるのにもかかわらず、腹筋、走りこみ、などが日常的に行なわれていました。今は、あまり聞きません。(でも、田舎の中学校とかに行くと、いまだに本気で、腹筋や走り込みで腹式呼吸いが出来るようになる、と信じられていたりして驚きます。)もちろん、運動部でも、水分の補給を制限する、という行為が結構あたりまえに行なわれていました。
まあ、楽器の技術は向上しなくても、根性はついたので、その点は、苦しく長いロングトーンに対しても期待が持てることを考えて頑張ったり、練習の苦しさが、たいしたものではないと感じられるようになったのは根性論練習の副産物かもしれません。
近年、鬱や、統合失調症、パニック障害、などがかなりスタンダードな症状として、取り上げられるようになりました。少なくとも私が学生時代にはあまり、知られていない、ある意味世の中から排斥されタブー視されていたものかもしれません。障害者福祉の概念の変化や、病院への受診のしやすさなども手伝ってなのかもしれませんが、最近は患者さんの数も増えつづけているようです。
いまだに原因がはっきりとは解明されていないことのようですが、ストレスに対して脆弱性をもった人がかかりやすい症状状だとも言われます。しかも症状が出てしまうと、さらにストレスに対する脆弱性を持ちながら治療しなくてはならないという、二重のストレスを感じなければならないことも多いようです。その症状が有るが故に社会からのストレスが増えることも有るので、一層、本人に対しては過酷なことも続く気がします。
いろいろ考えるに、世の中が疲れているのではないか、と私は思うのです。疲れていると、いらいらしてくる、人間関係がギクシャクしてくる、そうならないために気を使い、そのためにさらに疲れてゆく、という悪循環です。また、人間関係がギクシャクしてくるために揉め事が」起らないように細かに「契約」と言う作業が必要となります。犯罪の防止云々もありますが、契約をきちんと交わすということは、責任の所在をはっきりさせることでもあり、自己責任、という面では、ある意味冷酷な結果が待っていることもあります。体は、疲れても心は、疲れないような社会になればいいのですが、とにかくストレスフルな時代になってしまいました。今あることを楽しめず、先の見えないものを追い求める社会のような気がします。
すみません、訳のわからないことを、うだうだ書きましたが、今日の一枚です。

シェパード・ムーン/エンヤ
ワーナーミュージック WMC5-450
このCDはオリノコ・フロウの爆発的ヒットで、一躍有名になったアーティスト、エンヤの3枚目に当たるアルバムです。エンヤと言う人は、シンガーソングライターと言うよりもむしろ職人的なアーティストといったほうがいいかもしれません。アルバムを制作するに当たり、ヴォイスの部分は自分の声を多重録音していく手法で作って有ります。つまり、何人で唄っているように聞こえても実は全てエンヤの声、という不思議な世界になります。録音というよりは、いかに自分の声を加工してイメージの音にミキシングしていくか、という作業のようです。
このアルバムでは、幻想的な響きに満ちているだけでなく、ケルト音楽やラテン音楽などまでも取り入れて、緩やかなメロディと見事に結うごさせています。
以前も書きましたが、私は「癒し系」と言う言葉があまり好きでは有りません。ですのでこのアルバムもひとことで癒し系、と片付けるのには抵抗があります。私はエンヤの音の作り方から考えても、緩やかな音楽の中に自分自身の内面を見せてくれる音楽なのではないかと、思っています。忙しい世の中、自分と正直に向き合う機会が少ない中で、厳しさを持って根性を入れて自分と対峙するのではなく、静かに自分の内面の世界に深く溶け込み、自分自身とどうかしていくような、そんな音楽だと思います。
疲れているときに一人でゆっくり聴くのにオススメのアルバムです。
Posted by のりくん at 18:13│Comments(0)
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