2008年07月02日
平和についてちょっと考えてみた。
さて、なぜか今日少しだけ平和について考えてみようかとおもいます。いろいろな意見もあると思いますし、一概に平和といっても広範にわたる事柄なのですが、時々私は小さな平和について考えることがあります。
例えば日常の中で他の人が自分の気にいらない発言をしたとします。そのときにどうするかは人様々なのだと思いますが、ここで平和的解決とはどんな方法なのでしょうか。
ほおって置く、気にしない、という意見の方もいると思うのですが、これは一見ことを荒立てず、平和的に見えますが、何の解決にもなっていません。この考え方では北朝鮮に拉致された家族がある事実を知っていながらそのことに触れずに外交をするようなものです。
また、相手と議論する、という方もいると思いますが、私はかねてから思うのですが、日本人は非常に議論の下手な民族だと思っています。(ココで言う日本人とは国籍が日本ということではなく、古くから日本に住み、日本の文化を吸収しつづけた人をさします。)皆さんは議論をしたことがあるでしょうか?大抵の方は議論ではなく「喧嘩」をしているのではないかと思います。
かと言って欧米でバンバン行なわれるディベートの技術でもってまくし立てるのも私はあまり好きでは有りません。それは平和のための交渉ではなく、自分の意見を通すための策を弄していることに他ならない気がするからです。
私が思うのは、自分の意見をはっきりと主張しながら、相手の意見も受け入れる、ということです。この、受け入れるということが曲者で、ともすれば迎合する、ととられがちですが、相手を受容することと迎合することは明らかに違います。
我々は正義に照らしてよく物事を判断しますが、本当にそれが正義かどうかは誰が決めているのでしょう。私は誰かが自分の意見を通したり、利益を得たりする時に、他の誰かが傷ついたり、悲しんだり、不利益をこうむることがあるならばそれは本当の意味での正義では無いと思うのです。法律とは便宜上決めてある規範な訳で、それを守るから善で、守らないから悪、と言い切れないのも確かです。
私はどちらかというと極論を言う方なのでいろいろ誤解を招きやすいことも有ります。例えばこんなことを考えたりします。自衛隊は廃止。代わりに自衛隊は救急隊、レスキュー隊になる、あるいは福祉活動に従事する、というものです。自衛隊を廃止すると、一番困るのは今現在自衛官の人たちの生活な訳で、それを保障するためにもいい案だと思っています。自衛隊で国を守ることなんて到底出来ないことは子どもが考えても判ります。例えばアメリカの軍事力に対抗できるとは到底思えません。
と、まあ、いろいろなことを書いたら、訳のわからないことになってきてしまったので今日の一枚です。
バーバーのアダージョ~アメリカ管弦楽曲集/トスカニーニ
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ
NBC交響楽団
BMGジャパン(RCA) BVCC-9936
このCDはトスカニーニによるアメリカ人作曲家の作品集です。
サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョOp.11」は映画「エレファントマン」や、「プラトーン」に使用されていました。
エレファントマンは今で言うプロテウスシンドロームという疾患の患者のことを題材に描かれた、映画で実話を元にして作られたものです。人間の内面にある様々なものを抉り出したようなものです。涙なしに見ることは出来ません。
プラトーンの方は比較的新しい映画(それでももう15年も前)なので、ご存知の方も多いと思いますが、O・ストーン監督によるベトナム戦争をテーマにした映画です。リアルな描写の中に、戦争が生み出す狂気、愚かしさ、ひいてはアメリカ大国の責任を問うものとして、評価されアカデミー作品・監督賞受賞しました。
どちらも人間の内面の部分を史実に基づいた描写の中で深くえぐりだし、その深い闇をあらわにしたような映画だったのではないかと私は思います。その2つの映画にこのバーバーのアダージョが印象的に使われていることも、なんともいえないことです。
切ないメロディーが切々と歌い上げられていく様は映画と無関係でも聴くものの涙を誘うものです。
これだけではやりきれないので、グローフェの組曲「大峡谷」、ガーシュウインのパリのアメリカ人、スーザのカピタン行進曲、星条旗よ永遠なれ、スミスの星条旗(アメリカ国歌、トスカニーニ編)
涙を流してみたい方、人間のについて平和について少し考えてみたい方、また、アメリカの作曲家による管弦楽作品を聴いてみたい方にオススメの一枚です。
例えば日常の中で他の人が自分の気にいらない発言をしたとします。そのときにどうするかは人様々なのだと思いますが、ここで平和的解決とはどんな方法なのでしょうか。
ほおって置く、気にしない、という意見の方もいると思うのですが、これは一見ことを荒立てず、平和的に見えますが、何の解決にもなっていません。この考え方では北朝鮮に拉致された家族がある事実を知っていながらそのことに触れずに外交をするようなものです。
また、相手と議論する、という方もいると思いますが、私はかねてから思うのですが、日本人は非常に議論の下手な民族だと思っています。(ココで言う日本人とは国籍が日本ということではなく、古くから日本に住み、日本の文化を吸収しつづけた人をさします。)皆さんは議論をしたことがあるでしょうか?大抵の方は議論ではなく「喧嘩」をしているのではないかと思います。
かと言って欧米でバンバン行なわれるディベートの技術でもってまくし立てるのも私はあまり好きでは有りません。それは平和のための交渉ではなく、自分の意見を通すための策を弄していることに他ならない気がするからです。
私が思うのは、自分の意見をはっきりと主張しながら、相手の意見も受け入れる、ということです。この、受け入れるということが曲者で、ともすれば迎合する、ととられがちですが、相手を受容することと迎合することは明らかに違います。
我々は正義に照らしてよく物事を判断しますが、本当にそれが正義かどうかは誰が決めているのでしょう。私は誰かが自分の意見を通したり、利益を得たりする時に、他の誰かが傷ついたり、悲しんだり、不利益をこうむることがあるならばそれは本当の意味での正義では無いと思うのです。法律とは便宜上決めてある規範な訳で、それを守るから善で、守らないから悪、と言い切れないのも確かです。
私はどちらかというと極論を言う方なのでいろいろ誤解を招きやすいことも有ります。例えばこんなことを考えたりします。自衛隊は廃止。代わりに自衛隊は救急隊、レスキュー隊になる、あるいは福祉活動に従事する、というものです。自衛隊を廃止すると、一番困るのは今現在自衛官の人たちの生活な訳で、それを保障するためにもいい案だと思っています。自衛隊で国を守ることなんて到底出来ないことは子どもが考えても判ります。例えばアメリカの軍事力に対抗できるとは到底思えません。
と、まあ、いろいろなことを書いたら、訳のわからないことになってきてしまったので今日の一枚です。
バーバーのアダージョ~アメリカ管弦楽曲集/トスカニーニ
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ
NBC交響楽団
BMGジャパン(RCA) BVCC-9936
このCDはトスカニーニによるアメリカ人作曲家の作品集です。
サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョOp.11」は映画「エレファントマン」や、「プラトーン」に使用されていました。
エレファントマンは今で言うプロテウスシンドロームという疾患の患者のことを題材に描かれた、映画で実話を元にして作られたものです。人間の内面にある様々なものを抉り出したようなものです。涙なしに見ることは出来ません。
プラトーンの方は比較的新しい映画(それでももう15年も前)なので、ご存知の方も多いと思いますが、O・ストーン監督によるベトナム戦争をテーマにした映画です。リアルな描写の中に、戦争が生み出す狂気、愚かしさ、ひいてはアメリカ大国の責任を問うものとして、評価されアカデミー作品・監督賞受賞しました。
どちらも人間の内面の部分を史実に基づいた描写の中で深くえぐりだし、その深い闇をあらわにしたような映画だったのではないかと私は思います。その2つの映画にこのバーバーのアダージョが印象的に使われていることも、なんともいえないことです。
切ないメロディーが切々と歌い上げられていく様は映画と無関係でも聴くものの涙を誘うものです。
これだけではやりきれないので、グローフェの組曲「大峡谷」、ガーシュウインのパリのアメリカ人、スーザのカピタン行進曲、星条旗よ永遠なれ、スミスの星条旗(アメリカ国歌、トスカニーニ編)
涙を流してみたい方、人間のについて平和について少し考えてみたい方、また、アメリカの作曲家による管弦楽作品を聴いてみたい方にオススメの一枚です。
Posted by のりくん at 18:23│Comments(0)
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